草食動物不在


その日、雲雀恭弥は苛立っていた。ここに彼らのボス―雲雀が聞けば僕は群れに入った 覚えはないよと否定するだろうが―がいれば真っ青になって冷や汗をかいていただろう。 そもそも、そのボスの不在が雲雀の苛立ちの原因なのだが。

彼は今日、沢田綱吉に呼ばれてここに来ていた。自分の立場や諸々分かっているのか 疑いたくなるほどの軽い調子で、雲雀さん美味しいパンがあるんです良かったら一緒に 食べませんか、と電話で呼び出したのだ。そう、ファミリーではないと言い張る彼を!
彼は機嫌の悪い声を出し、そんなに美味しいなら群れの中で分け合えば、と主張した。 昔ならばこれは提案の形での絶対命令として取られ、そうですよねすいませんでしたァ、 と逃げるように叫ばれるのが常だったが、月日はかのボスを随分と図太く育てたらしい。 いやでもこのパン絶対美味しいですよ俺まだ食べてないんですけど、だってリボーンが 買って来たんですよ? あのリボーンが! 繰り返される赤ん坊の名に彼は眉を寄せ、 赤ん坊も来いって言ってるの、と先程よりも低い声を出した。その声に縮み上がっていた 綱吉はもういない。ボスは、はいぜひ!、と明るい声で答えた。
そんな調子で呼び出されたものだから彼の機嫌は間違っても上々とは言えない。更に、 呼び出されて来てみれば綱吉は急な会議が長引いていると言うのだ。彼はまだ本人に 出迎えられてもいない。私室に通され上等な紅茶を出されたが、とうに飲んでしまった。 会議には出席しなかったらしい赤ん坊が向かいのソファで銃の手入れをしているが、彼を 見たのはドアを開けて入室したそのときだけで、あとはずっと下を向いている。
急な電話、呼び出し、本人の不在、赤ん坊の態度、その他全てが気に食わなくて、彼の 苛立ちは増す一方だ。もう赤ん坊との契約なんて無視して思い切り暴れてしまおうか、 でもそれをすると赤ん坊と定期的に咬み合えなくなる、いや、でも、彼が悶々としている 間に赤ん坊は銃の手入れを終え、黒く光を放つ銃を向かいの彼に放った。表情に出さず 深く葛藤していた彼はその銃を危なげもなく受け取り、きょとんとして赤ん坊を見た。彼が 時折見せるこの表情、実は綱吉のお気に入りであるのだが彼はそんなこと知らない。

「突き当たりの左だ」

「・・・・・・ワオ。赤ん坊から許可が出るとは思わなかった」

「どうせ今日中には潰すつもりだったファミリーだ。せいぜい殲滅して来い」

「殲滅、ね。面白い相手だと良いけど」

最後にそう呟いて彼は立ち上がり、受け取った銃を片手に提げて重たいドアを開けた。 その背に楽しげな声がかかる。間違ってボスも殺すなよ。口元だけで笑っているであろう 赤ん坊を振り返ることもせず彼は答えた。さあ、それは綱吉次第だね。
ぎぃ、と鈍くドアが閉まる。
突き当たりのドアの向こう、堂々と当たり前のように入って来た雲雀が銃を構えた途端に 混乱しだした会議室の中、一人だけ諦めたような全てを悟ったような表情をした綱吉は、 一瞬後には、最近、対雲雀専用になった底抜けに明るい笑顔を作り、明るく陽気に声を かけた。雲雀さんいらっしゃい、これが終わったらティータイムにしましょう!
言いながら銃を取り出すその姿を見て何を思ったのか、雲雀は深くため息をついてから 一瞬前の綱吉のような表情を浮かべ、それを塗り替えるように凶悪な笑みを作った。



20分後には、隣の部屋で3人だけのお茶会が開かれる予定である。


・・・草食動物、不在・・・。