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初めて出会ったのは、七歳の頃だった。そのときヤマトは十二歳で、 随分と落ち着いた、優しい、“憧れのお兄ちゃん”だった。 病弱ですぐに体を壊してたけど、儚げなところはなくて、明るかった。 学校に通っても、同じ年頃の男子は馬鹿にしか見えなくて、ヤマトへ 憧れる気持ちが募るだけだった。 初めて会ったときのヤマトの年齢に追いついた頃に、ご両親に優しく 手を引かれるクロウと知り合った。クロウは七歳で、そう、ちょうど私が ヤマトに会ったときと同い年だった。 クロウはご両親とヤマトに愛されていて、私にも笑顔を見せてくれた。 ヤマトとは違って体が丈夫なのを不思議に思って、二人のお父さんに 聞いてみたら、八鵠のときはお母さんが、動けるようになったらすぐに 協会の託児施設に預けてハンターに復帰したせいか体が弱くなって しまったから、九龍はできるだけ自分達で育てたんだ、と言われた。 なんだかヤマトがかわいそうだな、と、少しだけ思った。 協会で職に就いたヤマトに追いつこうと、必死で勉強した。十五歳で 事務職に就けたときはすごく嬉しかった。ヤマトがほめてくれたから。 二十歳を迎えて間もなく研究方に移籍したヤマトのそばにいたくて、 そりゃあもう必死で勉強した。研究方には結局いけなかったけれど、 それなりに成果は出た。 私が目標を失ったのは、二十歳の誕生日の、一週間前だった。 クロウと私とご両親で盛大に泣き明かした。早すぎると、ヤマトを知る 誰もが言った。病弱だったヤマトはその病のせいではなく、インドアな ヤマトにしては珍しく遺跡の方へ出向いた先で、運か、タイミングか、 何が悪かったのか襲撃を受けて死んでしまった。 二晩目を迎える前にご両親はまたこの地を離れてしまった。残された クロウは真っ赤な目で、悲しすぎてじっとしてられなかったんだきっと、 と言った。私たち二人は抱きしめ合って、泣いた。 それから半年の後、私たちは付き合うことにした。 ヤマトのことを何も忘れたくないから、という以外に理由はなかった。 体の関係はなかった。ベッドの上で身を寄せて、糸を紡ぐようにそっと ヤマトのことを話した。健康な体を生かしてハンターになったクロウが いない夜は、ヤマトの愛用していたペンを握って眠った。 そうして過ごして、六年ほど経っただろうか。 クロウが“たった一人の存在”を見つけてきて、繋いだ手をはなそうと 二人で決めた。もう、私たちの息が交じり合うほどの距離で、ヤマトの ことを話すことはなくなるか、あってもごくまれになるのだろう。 そうしてきっと、少しずつ、思い出になっていく。 だけど思い出すことをやめなければ、それはきっと、消えないから。 |