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開けるのに少しね、コツがいるんだよ、そう笑いながら案内してくれた 友の顔を思い出しながら、戸を僅かに持ち上げるようにして滑らせる。 物音にも反応しない体は、四肢を投げ出して壁にもたれている。 生きたにおいがしない。ゆるやかに、死を待つ空気だ。 その空間にとって自分が異物であることを理解しながら、進入した。 泣きそうになるほど生気のないその左側に、寄り添うように座る。 「三郎、・・・・飯を食え」 力なく垂れる手首は、以前にも増して細い。返事はない。ただ、ひどく ゆっくりと、一度だけ虚ろな目を瞬かせただけだ。 「風呂に入って、顔も、整えて」 友の顔で、友とは違う表情を浮かべていたその顔は、もう何日も手を 入れていないのだろう、ところどころ剥がれ落ち、いっそうひどいのは 右目の周りだった。そこから見える地肌に、ああこいつ、こんな肌の 色をしていたのかと、思う。一体いつから手を入れていないのかと、 問うことが愚かしく思えるほど明らかで。 「・・・・そうやって、生きていくんだ」 土に、埃に、血にまみれた装束をまとった、細い体がふるりと震えた。 「 い や だ 」 振り絞って出された声は小さく、この距離でなければ聞き取ることは 困難だっただろう。千の声音を操る喉は嗄れ、かつての友の声からは 程遠い。ひび割れた声が、ひどく悲しい。 そんな精一杯の拒絶を無視して、握り飯と水を眼前に突き出し、自ら 一口かじり、飲み込んで、残りを少しずつ口に含ませた。久しぶりの 食事を体が拒否しないように、むせて、吐き出してしまわないように、 ゆっくりと、少しずつ。 そうやってどうにか一つは食べさせたが、二つ目を一口二口と進めた ところで小さく首を振られた。 「まだ食わないと」 「勘弁してくれ・・・・・吐いてしまいそうなんだ」 呟く声は、幾分か潤いを取り戻していた。無理強いをして吐かせては 意味がないので、それ以上食べさせることは諦めて、水を飲ませた。 装束に手をかけても、抵抗はない。これでは、まるで死者の身包みを 剥いでいるようだ。濡らしておいた布で静かに体を拭い、換えの服を 着せ終わるまで、抵抗は一つもなかった。そのことがまた、悲しい。 「雷蔵が死ぬときは、私も死ぬものと思って、生きてきたのに」 逝き損なってしまったと呟く声ごと頭をこちらの肩に埋めるようにして その細い体を掻き抱いた。いつの間にこぼれていた涙が、癖の強い 鬘に落ちる。うぐぅ、と唸るように泣く俺の背中の低いところに、細い 指がそっと触れた。涙が止まらない。 「逝き損なっただなんて、言うな」 「ハチ、」 「雷蔵がかばった命を、お前が捨てるのか」 「八左、」 呼びかける声を無視して、頭を肩に押し付けた。まだ何か言っている ようだが、もごもごと不明瞭で聞こえない。(八左、八左、お前は私の 願いを聞き入れてはくれないのか、緩やかに死ぬことさえ、許しては くれないのか、なぁ、八左)聞き取るつもりも、ない。(八左、私は鏡を 見れなくなったよ。死んでゆく中でも、顔だけは雷蔵のままに整えて いたかったのに。今の私はひどい顔をしているだろう? けれど鏡を 見れないんだ。崩れてしまった雷蔵の顔を、見たくなくて。ねぇハチ、 雷蔵はね、雷蔵は、死に際、右目をえぐられたんだよ)ぎゅうぎゅうと 抱き締めて、体はこんなにも近いのに、こいつの心は、今もまだあの 地にいるのだ。友が殺された、あの地に。これほど抱き潰しているの だから、欠損のひどかった右目から化粧はぽろぽろと壊れるだろう。 ずるり、と鬘を外した。鬘の下、短い髪に光沢はない。栄養が足りて いないから。 「何を、」 「俺にしろよ」 「なに」 「雷蔵の顔が見れないなら、俺の顔を貸してやるから、いくな、」 さぶろう、さぶろう、いくな、おねがいだ、さぶろう、 うわ言のように繰り返し、いつしか俺の肩も濡れていた。あぁ、泣いて くれた、そう思うと、さらに熱い涙がこみ上げてきて、一体この体内に どれだけの水分があったのだろうと訝むほど。 「本当に、馬鹿だな、お前は」 俺の肩を濡らしながら、三郎が小さく震える。声で、笑っているんだと わかって、涙を垂れ流したまま俺も笑った。 「お前に言われたくない!」 ずるずると二人で、倒れ込むように床に転がった。どこもかしこも細い 体に、どれだけの寂しさが、悲しさが、押し込められてきたのだろう。 涙とともに、少しでも出て行けばいいと願う。思い出す友の笑顔が、 悲しいものにならないように。 |