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弱ったな。 小さな声が、お面の間から洩れたのを聞いた。きっと独り言だった。 その日の朝も彼は叱られていた。入学してひと月余り、彼は級友や 上級生や食堂のおばちゃんや先生や事務員さんや、いろんな人の顔を とっかえひっかえして過ごしていた。先生は腰に手をあててぐっと彼に 顔を近づけて言った。三郎、技を磨くに専心はげむのは結構だ、でも 時と場所を考えなさい、みんながびっくりするし、困るだろう。 彼は居心地悪そうに首を傾け、片足の足首をくる、くる、とまわしていて、 ちゃんとまっすぐ立って聞きなさい、と注意されて、かかととかかとを くっつけ、背筋を伸ばした。彼は狐のお面の内側から、先生を見上げた。 でも、せんせい。何だね。 びっくりするから、おもしろいんです 雷が落ちた。顔を使うときはその人に断ってから、その人にも誰にも 迷惑がかからないように使うこと。お化けや動物や、人ではないものは、 もっといけない。そう言い渡されて、へろへろと、彼は僕の隣に座った。 そこの席の子が、ちょうど風邪でお休みしていたから、空いていたんだ。 きっと彼は、どこでも良かった。どこでも同じ。同じように面白く、 同じようにつまらなかった。 教科書を机の上に出して、頁を繰りながら、彼は呟いた。弱ったな。 今なら分かる。彼はそんなことを言いながら、もう次のこと、どうやって 裏をかいて、先生を出し抜いて、もっと楽しむかを、考えていた。でも その時の僕は、そんなこと、分からなかった。 ただ、同じ組の、お友達、――になるかもしれない子が、困っている、 しょげている、悲しそう、そっちばかりで胸が一杯だった。 僕は彼の忍服の、お腹の横あたりのところをひっぱった。彼が不思議そうに こっちを見る。お面越しだったけど。 なに、ふわらいぞうくん。 それで、僕の、ちょっと迷っていたのが、どこかに飛んで行ってしまった。 今思えば、きっと彼は、変装するために学園にいるみんなの顔と名前を 全部覚えていたんだろうけれど。 僕は、それまで話したこともない、まだ変装したこともない、 そんな僕の名前を、彼がちゃあんと覚えていてくれたのが、 すごくうれしかったんだ。 そして。 それが、僕の今までの、そしてこれからももう少し続く、奇妙でおかしくて 楽しくて最高ででもちょっといやかなり困る、学園生活を決めてしまう。 ね、さぶろうくん、 僕の顔、使っていいよ |